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釣り人生を振り返る④

2006年02月26日 01:21

復帰
何ヶ月釣りをしなかっただろう。
2人目の子供が生まれた。子育てに必死になっている人間を無視して自分だけ遊びに行くのは少し忍びない。
でも、釣りがしたい。
自分の中で、生後3ヶ月までは釣りを禁じた。

8月
我が子の首もすわり、一緒に外出も出来るようになった頃、再び釣りを再開する。
もちろん紀州釣り。
初心者で、なおかつかなりのブランクがある。イチからやり直す気分で、和歌浦や田辺へ通う。
しかし、この年は最後まで自然に悩まされる事となった。

自然には勝てません
とにかくまともに釣りが出来なかった。とくに田辺に至っては、数投しただけで、釣りが出来ない状況にも陥る事が続いた。
凄くフラストレーションの溜まる釣りをしながらも、約3ヶ月通いこんだ。
もともと立ち上がりが遅い人間なので、短時間で結果を出すのは非常に苦手で、全く釣れない日々が続く。
こんなに難しい釣りとは思わなかった。

ぬかすなTVとの出会い
この頃、まけさんのサイト、「ぬかすなネットTV」さんに出会う。とにかく情報が少ないこの釣りに、動画で他人の釣りを見れる事に凄く感動した覚えがある。
とくに度々登場する『永易啓裕』氏という人間に、衝撃を受けた。
"狙ってる"
なんかそんな感じがした。
今までやってきた、"あわよくば釣れる"のでは無い。"釣れるべくして釣っている"というべきか。
"永易流"という釣り理論もこの頃に出会った。
奥が深い。
私がこんな事を言っては失礼なのかもしれないけど、本当に奥が深い。全く分からない。
何故、高集魚ではないのだ?
何故、わざわざ握り難い団子を使うんだ?
何故、それで釣れるんだ?
ハテナだらけの釣り。
ワケが分からなかったが凄く興味を持った。
意味も分からず『紀州マッハ』を使ったりもした。もちろん集魚材はゼロに近い。
自然に裏切られながらも、ポツポツとは釣る事は出来たが、何故かは分からなかった。ただ、"集魚と釣果は決して比例するものでは無い"事だけは気付いた。

BLOG-Dとの出会い
全てはここから始まったと思う。少し前に私はブログ、そしてホームページを立ち上げた。初心者が作る専門サイトも面白いのではないか。若い人達にも紀州釣りの面白さが分かって欲しい。そんな思いで立ち上げた。
ある日、ブログの訪問履歴に気にかかる名前が。あれ?もしかしてと思い、覗いてみると一発で誰のブログか分かった。「ぬかすなTVに出てた、てつさんだ」
釣りの技術はもちろんの事、単純に面白いブログ。日課のようにコメントしていました。
今考えれば、「素人がなに意見しとんねん。笑」って思います。
自分が今までやってきた釣りなどもお話ししているうちに、私のブログに一通のコメントが。
てつさんだ。
『メール送ったけど読みました?』
読んでいない。
迷惑メールがよく来ていたので、週に一度、メールボックスを整理するぐらい。たまたまこのコメントを会社のPCで見てしまい、慌てて嫁に確認する。
「あ…今日全部消したよ~」
ありえない。ありえないタイミングで全消去。
メール内容が全く分からないので、急いでてつさんにコメントを返す。
「もう一度お願いします。」
とにかく超不安。なにかいけない事をしてしまったのか。
私のサイトへの批判なのか。
再度送られてきたメールを嫁に読んでもらう。

数分後、会社で私は思いっきり叫んだ。笑
「まじっすかー!!!!!!!!」
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釣り人生を振り返る③

2005年10月26日 22:09

衝動
紀州釣りというものに心魅かれた私は、「とにかく早くやってみたい」という衝動に駆られた。
今までどんな釣りでも、即行動は無かったのだが紀州釣りだけは、これにあてはまらなかった。
まず、紀州釣りとは、『どんなもの』で『なにが必要』なのか調べる必要があり、インターネットで情報収集。
必要な道具を揃えるには、結構な費用がかかる事が分かる。それまで、竿とリールしか無かったから。
ここで、私は暴挙に出る。今までコツコツ集めてきたブラックバスのタックルを全てオークションで売り払い、海用の釣り具を一気に揃えた。

ブラックバスとの別れ
タックル全てを失い、完全にバサーの道は終わる。未練が無いと言えば嘘だが一度に複数の釣りをする事は性格上できないし、近年のバス界の動きに少し嫌気がさしていた。
害魚問題に始まり、スレる一方のバス、琵琶湖のリリ禁に釣り禁止区域の増大化など…はっきり言って、社会から認められていない釣りに嫌気がさしていたのだ。

全てのタックルを失う事で、ブラックバスに別れを告げる。

初めての紀州釣り
何も知らないまま紀州釣りデビュー。場所は和歌山県『戸坂漁港』。友人が釣り場ガイドを持っており、あまり意味無くそこをチョイスした。
仕掛けはなんと固定ウキ。古い本を読んだためか、そこにある仕掛け図は"固定"だったのだ。
しかし、戸坂漁港の水深は最低でも5ヒロ以上もあり、釣りにならない。結局1日中ウキが沈んだままの釣りを続けた。
ダンゴの配合についても全く無知で、よくエサ屋においてあるオリジナルダンゴをそのまま使っていたような記憶がある。
もちろんこんな無茶苦茶な釣りで、魚が釣れるわけも無く、デビュー戦は訳が分からないまま終了した。

荘司ダンゴ
ダンゴ作りが全く分からないので、インターネットをフル活用。高集魚ほど性能が良いと思っていた私は、ある名人に共感する。
そう、高集魚と言えばコノ人、『荘司明良』氏だ。
『魚に割らせるおいしいダンゴ』をコンセプトにした『荘司ダンゴ』は、当時私の理想であった。
集魚抜群の荘司ダンゴは、魚の反応が常にあり、その中にチヌも混ざる。
和歌山県『田辺文里港』で初めての釣果を上げる。
確か5枚釣ったはず。
この時は、集魚力と釣果は比例すると思ってました。単純ですね。
その後も、田辺や紀北を中心に、貧果ながらチヌを釣る。
同時に、ワンパターンで、相手まかせの釣りに少し不満も出てくるようになるが、紀州釣りとは『そんな釣り』だと思い込んでいた。

休養
紀州釣りを始めて約3ヶ月、もう秋も終わる頃であったが、釣りが出来ない状況になる。
家族が一人増えるのだ。春を迎える頃、2人目の子供が生まれる。
雑誌や釣り番組などを見てしまうと、絶対行きたくなってしまうので、私はここから、約半年ほど釣りから遠ざかるようになる。

釣り人生を振り返る②

2005年10月20日 09:29

バス釣りに明け暮れる
愛媛でチヌ釣りを教わった私だったが、いきなりのめり込むような事も無く、バス釣りに明け暮れる日々を送る。
今まで釣りを頑なに拒否していた友人が、「バス釣りをしたい」と言い出したから。
春先から積極的にその友人と野池に通うようになるが、やはり釣果はしれたもので、少しがっかりさせたかもしれない。
やはり野池の釣りは自分の場所では無かったし、この友人にもバス釣りの楽しさを味わって貰う為、『七色ダム』へ連れて行くようになる。

2年目の挑戦
相変わらず『七色ダム』の状況は変わらなかったが、ある程度パターンみたいなものを掴みかけていた時期。
特にこの頃、トップウォーターの釣りが楽しくて、まずまずの釣果に恵まれだす。
つんつんねちねちで、数を釣るのも楽しいかもしれないが、やはりトップの釣りは食う瞬間を目で見れるので、興奮の度合いが別格であった。
サイズの記録も大きく更新し、2年目にして『七色ダム』を楽しむ。

この『七色ダム』の他にも、『紀ノ川』や『宇治川』などのリバーフィッシングも面白かった。
特に『宇治川』では、爆釣を体験し、主にも会った。釣れませんでしたが。

マルチフィッシング
この年の夏、とにかく色々な釣りをする。
昼間はバス釣り、帰りに漁港でメバルを狙う。
チヌの夜釣りや、シーバス釣りにタチウオ釣り等、海へ出かける回数も増えて行く。
元々あれもこれも出来ない性格なのだが、とにかく海全般の釣りが楽しくてしょうが無かった。
道具は必要最低限のものを揃えた。

色々釣りを試すが、チヌの夜釣りに徐々にハマリ出し、毎週土曜日は南港へ通うようになった。
もちろん、釣果は寒いものだったが、釣り仲間としゃべりながらできる波止場の釣りは、バス釣りとまた違った楽しみがあった。
タチウオ釣りも、会社の同僚と良く行った。
その前の年にも少しタチウオは釣っていたのだが、確実に釣れるようになったのはこの年。
アタリが出てから、ゆっくりウキが消えて行く。
頃合を見計らい、大きなアワセを叩き込む。
チヌの一瞬のアタリの見極めも面白いものだが、このゆっくり待つというアタリもオツなものである。

ここまで自分の釣りを振り返って見ると、最初の1年は本当に手痛い目に会っている。
2年目になると、去年が嘘のように釣れ出す。
やはり自然と体が覚えるのか、たまたまなのか…


そんなある日、ある衝撃を受ける。

社長と釣り
28歳の夏、私は会社の社長に釣りに誘われた。
普通に平日だったので他の従業員は仕事中で、冷たい目で見られた記憶が残っている。

当日、いつもの道具で出動する。
エサは途中買ってくれるとの事だったので、マキエとかは一切用意していない。
場所は、和歌山県「番所の鼻」という地磯で、地元の人には人気があるらしい。

マキエとサシエを買いに、現地手前の餌屋に立ち寄る。
私はいつもの『青イソメ』1パック。
社長の方は、何やら店のおばちゃんに話しかけてる様子。
「チヌ釣るのは、どれ使ったらいい?」という問いかけに、おばちゃんが差し出してきた餌は、
訳の分からん粉と訳の分からん粉。笑
聞くと、糠と集魚材で、この辺の人には定番メニューらしい。
それを鵜呑みにして、サシエのオキアミを購入。
うちの社長は釣りを知らないクセにやりたがるので、店を出る前に使用方法を聞く。
社長は車に乗り込んでいるので、なにせ時間が無い。
「ダンゴにして投げるねん」とだけ聞いて、車に戻る。
ダンゴ…投げる…なんか間違えて買ってるや、コイツ!ププーッ(笑)って思っていたが、これが全ての始まり。

俺がププーッ(笑)
現地に着く。
番所の鼻は、釣りをする意欲を高めてくれる最高の舞台だった。
今まで、漁港ばかりだったので、磯の素晴らしさを体感する。

道具を用意し、社長が使うはずのマキエをこしらえる。
しかし、何をどう使うのか分からないし、バッカンすら無いのだ。
社長、無計画にもほどがありますよ。
自分の水汲みバケツを犠牲にし、まずは集魚材を半袋投入する。
集魚材には『チヌパワー』と書いてある。笑
パッケージの裏面を参考に…ってあと糠しか残って無い。
とにかく1対1で混ぜ合わせ、適当に水をぶっこむ。

あれやこれやとしているうちに、社長は青イソメを持って逃亡。
「お前はソッチ使え」
どうやら、間違いに気付いたのか。
社長の性格を考えると予想通りの展開。

さて、マキエの準備は完了。
針にオキアミを刺し、海へ向かってフルキャスト。
で…
どうすんねん。笑
おばちゃんに聞いた「ダンゴ」「投げる」というヒントを基に、まずはダンゴにしてみる。
今考えれば、糠とチヌパの1対1配合。まとまりは抜群だった。笑
続いてウキ目掛けて投げてみた。


こんな釣り聞いたことも見たことも無い。

覚醒
仕掛けを投げ込み、ウキ目掛けてダンゴを投げる。
疑心暗鬼な釣りが続く中、頭の中である映像が浮かんできた。
昔、釣り番組で見た『紀州釣り』の映像。
そうだ、思い出した。
次の1投、あの映像と同じようにサシエをダンゴで包んで不安ながらも手前3m程に投下。
衝撃を受ける。
ウキは海中に沈んで行き、アタリなどは分からなかったが、ダンゴの周りに繰り広げられる魚のお祭り。
初めて見る光景。

ブラックバスはルアーを見たら一目散に逃げ出す。
しかし、このダンゴは魚が嫌と言うほど寄ってくる。
本命のチヌでは無かったが、これほど魚に対してインパクトを与える釣りは今まで経験した事が無い。

この瞬間、私は『紀州釣り』という釣りに心奪われるのであった。

釣り人生を振り返る(前編)

2005年10月11日 10:34

初めての釣り
私が生まれて初めて釣りをしたのが20歳だったかな・・・。
呑み友達と小学校からの腐れ縁の仲間と共に、ある日突然釣りに行こうと決まったのです。
それまで釣り経験が全く無い私はもちろん釣り道具など持っているわけも無く、たしか釣り具のブンブンで1980円の竿・リール・糸付きの道具のみを買って行った記憶があります。
釣り具屋さんに行ったのはその時が初めてで、その種類の多さにびっくりしたものです。

釣り前日の夜中・・・エサはなんと『イクラ』。場所は何故か篠山川に決定。メンバー全員いったい何を釣りに行くのか分からない状態で出発。もう悪ノリですよね。笑

車で川ぞいを走っていると、ちょうど休憩できそうな場所を見つけたので、仮眠を取る事にしました。

バサーとの遭遇
夜が明けて、少し明るみが増した頃、起きた私は一人車から出て川ぞいを散歩する事にしました。
少し歩くと橋に出て、そこに車が1台停まっていました。
なにやら橋の上から釣りをしている方が一人。
沢山の短い竿を車内天井部に並べ、短い竿になにやら魚の形をしたオモチャを付けてそれをキャスト。
そう、ブラックバスをルアーで狙う、通称『バサー』です。

その方の邪魔になりながらも、しばしお話しさせて頂きました。
なれなれしいのが私の長所であり短所でもあります。でも会社や親戚には『人見知り』で通ってます。社長、ボクは嘘付きです、給料を上げて下さい。何

少し脱線しましたが・・・とにかく「こんなカッコ良い釣りもあるんだー!」とショックを受けました。それまで『釣り=オッサン』という自分だけの固定概念が全て覆されたのです。

結局その日の釣りは、何の魚か分からないですが、みんな何匹か釣って、折った木に突き刺して焼いて食べました。味付けも何も無しで、全員マズくて吐いたような気がします。サイテー野郎どもですよね。悪ノリもほどほどにしないとね。

しかし、朝 見かけた『バサー』のカッコ良さは帰っても忘れる事ができず、次第にのめり込んでいく事になるのです。

ハマらない日々
あのバサーに出会ってからも、すぐにバス釣りを始めたわけでは無かった。 その時は女性に異常な程の興味を持っていた頃だし、お酒を呑む楽しさも覚えた頃。 人付き合いでスノーボードやボディーボードなどもやったが、あまりハマリ込む事もなかった。

ブラックバスをかじる
ブラックバスを釣ろうと思ったのは21か22歳頃だったかな。久しぶりに釣りに行きたくなった私は、ブラックバスを釣ろうと思い立つ。

私は「まず道具を揃えんとイカン」という事で、大阪にある大型釣り具店『フィッシングエイト』へ行く。
『フィッシングエイト』に行く理由は、弟の友人がソコへ勤めていたため。でもってバサーである。
何を買ったらいいのか分からない私にはいい味方でした。

店に着き、ソイツを探すと居ました。色々話しを聞きながら買ったのは、スピニングロッドとスピニングリール。
そして、ルアーはダイワ不朽の名作、クランクベイト『ピーナツツ』。
その他2・3点を揃える。

いきなり聖地へ
早速、友人に連絡をとり釣りに行く準備を進める。
友人の何人かは経験者で、その彼女とかも入れると6人集まったような気がする。
行き先はなんといきなり『七色ダム』。 
大台ケ原に悠然と構える『池原ダム』の兄弟ダムみたいなもので、現在では聖地に近いものがある。
バスの日本記録はこの『池原ダム』から生まれているし、多分今後もココから出てくるだろう。

結果、経験者だけが釣果をあげるが、私は完全丸ボウズだった。
橋の上から釣っていたのだが、バスのルアーを追う姿が丸見えで、凄く興奮したのを覚えている。

初めてのバス
この興奮冷めやらぬ内に、池原ダム、七色ダムを始め、琵琶湖などにも通うようになる。
しかし、バスを釣るのはなかなか難しく、5回目の釣行ぐらいで初めて釣ったと思います。
15cmぐらいの琵琶湖バスでしたがルアーはピーナッツだったので何か嬉しかった。

1回でも釣れると自信が湧くもので、その辺から単独釣行へも数行くようになる。
主に泉北の野池ばかりだったが、これまた不朽の名作『スライダーワーム』で釣りまくったものだ。

釣りも覚えて行くと、どんどん『もっと釣りたい』、『デカイ魚が釣りたい』ようになってくる。
その頃、メディアで一気にバス釣り会のスターダムに昇りつめて行く人物がいた。 
 
奥村 和正との出会い
デプス代表『奥村 和正』氏、その人だ。
バス釣りをする人で彼の名前を知らない人間はいないだろう。
彼のスタイル『デカイ魚を釣る』というストレートな信念に共感し、奥村教(勝手にそう呼んでいる)に引き込まれていった。 

奥村教、デプス信者はかなりコアなファンばかりで他社のルアーにあまり興味を示さない。
あまりにも流行とは逆行していたし、出すルアーやワーム、そしてロッド等、当時はキワモノと呼ばれるモノばかり。
しかし、それを使用し60UPを狙って釣る彼を信じきっている信者は躊躇なくソレを使用していました。
もちろん私のタックルボックスにもデプス一色であった。
デカイルアー、デカイワーム、曲がらないロッドなど当時ではとにかく異色な存在。
年1回のフィッシングショーも彼のブースしか回らないし、セミナーを聞くのも彼だけ。
もう教祖と信者の関係でしたね。

苦悩の日々 
ひたすらデカイ魚を追う毎日。毎日と言っても毎日じゃないけど。
でかいルアーにでかいワーム・・・今まで44cmが最大サイズだった私は、なかなかデカイヤツに会えない。
それどころかアベレージサイズすら釣れなくなってしまった。
別にデプスが悪いワケでは無く、自分が使いこなせてない状態。

さらにこの頃から、スモールサイズのルアーが大流行したように、ブラックバスが釣れない時代に入ってしまった。
アピールが小さい、ルアーを認知させないといった釣り方が野池のメインになっていた。
小さいワームをつんつんつんつん・・・まっぴらゴメンだ。
  
再び聖地へ 
私はそんなバス本来の釣りができない野池を捨て、5年ぶりに再び『七色ダム』に通いだす。
それも岸釣りでは無くボートに乗る釣り。デカバスと真っ向勝負をする為に。
その時私はすでに27歳。
かなりここまで来るのに遠回りしたが、バス釣りを本格的にやりだした時期でした。 
しかし、5年という月日は七色ダムを変えてしまっていました。

七色伝説終焉
『七色ダム』に通う事に決めた私は、「これから素晴らしい釣り人生が始まる」と思ってました。初めてバス釣りをした場所でもあるし、なにせ魚の反応が素晴らしい。
アピールの強いルアーは多くのバスを注目させ、寄ってくる。
魚が素直で、シーズン毎のパターンさえきっちり把握すれば、間違い無く釣れると思っていた。
野池などのスレまくった魚はそれが全く通じず、いかに魚に食わす事ばかり考えた釣りだった。

例えば・・・ある一定方向にしか投げれない場所がある。
ウェーダーを履いた人間が、逆方向からルアーを投げる。あれだけ食わなかったバスが1投1釣ぐらいに食いまくる。
これってどうなんだろう。技術とかルアーの性能なんか全く無視で、ただ人ができない事をやると釣れる。
例えば・・・朝から夕方までは全く釣れなかった。
でも粘って、真っ暗になってからいきなり爆釣モード突入。
その池はそれ以外釣れない。誰がどうあがいてもマグレ以外釣れない。もちろん釣れる事はいいことなのだが、ワンパターン化してしまってすぐに飽きます。

こんなのバス釣りじゃねーや・・・って事で『七色ダム』に通う決心がついたんですけど・・・

現実を痛感
あの『七色ダム』はもっとひどかった。
まずエンジン船でないと非常に辛い事。私は船舶免許も無いし、無論 船を買うお金も無い。
船体を買う費用は約30万ぐらいで、その他定期検査費や保管料など考えると、お金持ちや一人もんにしかできない道楽なのである。

当然レンタルボートを使用するが、その費用も凄い。
エンジン船なら1日1万円以上は必ず必要で、「通う」というのはほぼ無理だった。
悲しいかなエレキボートを借りる日々。

分かっていた事なのだがやはり条件は厳しい。

エレキ船での行動範囲は非常に狭く、一番辛いのが風。
ダムは基本的に山の中に作られ、風は必ずといっていいほど付きまとう。
最悪の日は1日ほとんど釣りできない事もあった。
風裏に逃げるといっても、移動に1時間かかるというのはザラであった。
しかし、こんな事では負けられないので、最低でも月1回は『七色ダム』へ行くのである。

しかし、一番深刻だったのが、バスの変化。ボート屋のおじさんに近況を聞くと・・・決まってこう言う。
「釣るならカットテールやね。」
もうデプス信者からしたら、聞きたく無い言葉。
この『カットテール』とは、つんつんねちねちを広めるきっかけになった代表的ヒットワーム。
誰でも釣れるワームとして大変人気で、確かに誰でも釣れる。 

逆に言いえば『カットテール』並みのノーアピールワームを、つんつんねちねちしないと『釣れない』状況であり、実際おじさんもそう言う。
・・・おいおい俺はそんな釣りをしにココまで来たわけじゃねーんだよ。

しかし、私の気合とか反対にバスの気合など微塵も感じない。通い始めて最初の方は玉砕していくばかりだった。
釣れても単発で、ただデカイ野池では無いか・・・と思いはじめていました。

結局27歳の1年は、ストレスの溜まる釣りばかりで、内心バス釣りに限界を感じ始めていました。来年もダメだったらちょっと考えようみたいな事も思ってました。

海の師匠の許へ
そんなある日、会社の淡路島旅行の帰り・・・

嫁さんの実家へ行く事に。
嫁さんのお父上は、大の釣り好きで、一度『海釣り』というのを私に教えてくれるとずって言ってくれていました。
お父上から言わすと、「バス釣りなんか釣りじゃない」って言われて、正直ムカついていたので、釣りの話しは敬遠してました。

でも、この心境は私も同じ事で、「バス釣りはもうバス釣りじゃない」と思ってましたから。 ちょいとニュアンス違いですけど。

チヌってなんすか
お父上と愛媛県某テトラ地帯へ行く。
「チヌを教えたる」っ言われ道具を持たされる。
凄く繊細な仕掛けで、錘がガンダマ1個。
それをいくら投げても3mぐらいしか飛ばない。でもそれで良いようで、チヌのアタリを待つのだ。
ウキが面白い動き見せているので、ずーっと眺めていると、「今や!」・・・「ぇ!?」→スッポ抜け。
「遅いな」・・・「ぇ!?」→わけわかってません。

約2時間ほどの釣りで、センスが無いのかアタリを全部逃したみたいです。 しかし、このウキ釣りの緊張感というか期待感が凄く新鮮で、ここから釣り人生が大きく動き出します。



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